菅沢の共撰場の上200mに、かって「新田大明神」の社(やしろ)があったそうです。
いつかのころにか火災に遭い、河内神社の境内に移されています。この神社の起こりは、
その昔、菅沢に大変悪い病気がはやった時、
湯山村・藤野に館を建てて安住していた、新田義治、と、義宗、が、私財を出して助けてくれたそうです。
このあと、このご恩に報いるために、資力のあった大家(窪田家)が
組の人々と力を合わせて、この地に神社をつくったとされています。
祭神は「脇屋式部小輔源義治(新田義貞の一族)」、「新田小将源義宗(新田義貞の方第三子)」といい伝えられています。